記憶の相対化っていきなり言われても何のことやらわからんと思います。
要は昔の自分に起きた辛い事や嫌な事の記憶にまつわる強いネガティブな感情が時間経過で風化して薄まっていく過程を私はそう呼んでいます。
大人ならば多少経験があると思いますが、ふとしたきっかけで子供の頃、若いころに経験したイヤな事、恥ずかしい事を思い出すと同時に当時の感情が呼び起されて悶絶しそうになったことがあるかと思います。
いわゆる黒歴史的なアレとかです。
しかし、不思議な事に私は40歳過ぎたあたりから何も感じなくなりました。
おっさんになるといろいろ細かい事とかどうでもよくなってくるんですねぇ。
思い出すたびにあんなにイヤだった記憶と感情の、イヤな感情の部分だけが全然湧いて来なくなりました。
トラウマ級っていうか、一生苦しむだろうなと思っていたガチのトラウマを思い出しても全然平気です。
単純に年取ったからかな?とも思ったんですがそれならば老化っていうのはそんなに悪いもんじゃないなと思うようになったんです。
だって30年とか40年とか昔ってオレ子供だったし若造だったししょうがないじゃん?というある種の開き直り。
「自分を許す」というスキルを手に入れたのです。
なんか生きるのがスゴイ楽!
鈍感な人って生きやすいんだなぁとしみじみ思います。
まぁまわりの人は大変でしょうが(笑)
そこらへんはさじ加減大切ですね。
なんか今どきはというか昔からいたと思うんですが神経が過敏な人って一定数いると思うんです。
最近で言うとHSP(ハイセンシティブパーソン)とかがそうでしょうかね。
なんか病気ってことにされちゃうんですね最近は。
ホントの病気の人はそんなにいないでしょうに。
そこまで行かなくても過敏な人、こだわりが強い人は普通にいますよね。
結局、そういう人は自分の意に反することが許せないんです。
それは人にされたこと自分がしたことの区別はありません。
許す許さないというのは結局は脳の奥のほうにある大脳辺縁系から発せられる原始的な怒りの感情ですから一見するとどうしようも無いように思えます。
しかし人間には他の動物よりも発達した前頭葉の前頭前野が感情のブレーキとして働くようにできています。
なので人間は怒りに任せて暴れまわらずに済んでいるんです。
まぁたまに例外もいますがw
しかし、そのブレーキの役割をする前頭前野が十分に育つのはだいたい30歳ぐらいだと言われています。
一生育たない人もいますw
最初に言った相対化というのは具体的にどういうことかというと、自分や周りの状況を客観的に見るということです。
悩み、苦しみの渦中にいると自分の置かれている状況を客観視する余裕がありません。
次々に降りかかってくる問題をさばくのに手一杯になっていることでしょう。
その状況から抜け出せずにストレスに長期間さらされている人は心を病んでしまうこともあります。
そんな経験で心に傷を負ったとしても10年ぐらい経つとその当時自分が置かれていた状況を客観的に具体的にそれぞれの因果関係まで説明できるようになっていると思います。
少なくとも私はそうでした。
今考えると、ぼんやりしているとき、寝入りばな、散歩しているとき、車の運転中などに自然に記憶の合理化が進行していったように思います。
脳のデフォルトモードネットワークとか言うやつですね。
物事の因果関係をはっきりさせ、当時の自分に処理できるような問題だったか?頑張ってもどうしようも無い問題を無理に解決しようとしていなかったか?というのを自分なりに整理して納得しようとしているのです。
相対化っていうのはそこんところです。
「相対」の反対が「絶対」です。
絶対的なものとは何か?って言ったらそれはメチャメチャ苦しんでいる当の本人の気持ちです。
本人が苦しいと感じているんですからそれは誰がなんて言おうと絶対的なんです。
人や動物が見ているもの感じている感情は絶対的なものです。
本人しか感じられません。
誰も代わってやることができません。
だから今現在苦しんでいる人がいたら優しくしてあげてください。
説得しようとしたりとかしないほうがいいです。
できるだけそっとしておきましょう。
ストレス源から離れてよく休むとかよく寝るとかしか根本的な対処法ないです。
人生だましだまし行きましょう。
毎日少しずつ少しずつ回復していきます。
「時間が解決する」ってそういうことなんです。
今現在悩んでいる若い人には信じられないかも知れませんが、「時間が解決する」は実在する!!
暇なときはスマホ見るよりぼんやりしようぜ。
それでは。